本を買った
「死にそうだけど生きています」(著者ヒオカ氏)
「自分の知っている世界だけが全てではない」
これを強く意識させる本だった
「貧困の自己責任論」
よく問題になるけど私は自己責任で片付けてはいけないと思う
少し前の上野千鶴子氏の話題になった祝辞にその点が指摘されている
以下東大HPより引用
あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
これは医学部入試における女性差別、大学での女性差別について言及した文章の一部だけど貧困、その他の自己責任論に当てはまる文章かと
「努力→良い結果」が言えると仮定すると「良い結果でない→努力しなかった」と言えるのか?
数学の論理の問題なら「対偶」で「真」であるので言える
ただ数学の問題とヒトの問題は同じとは言えない(私の個人的な考え)
ヒトの置かれている状況は全員異なるので同じ条件では片づけられない
ヒトの場合は「良い結果でない→努力しなかった」とは言えない
もちろん努力したからこその良い結果であるけど努力以外の部分もあるのも事実
ヒオカ氏の「ほんの少しでいい。たった5ミリでいい。他社への想像力を及ぼす距離をみんなが伸ばしてみる。その総和が社会を少し優しくするのではないか。」という言葉はみんなが心地よく生きていくうえで求められているリテラシーなんだと私は考える。